要旨

ダガーニの描いた3点の花の絵―ホロコーストの美術・文学・音楽をどう考えるか?

黒田晴之(松山大学)


 第二次世界大戦時、トランスニストリアでの道路建設のために、ブコヴィナのユダヤ人や周囲のロマは、強制労働に駆り出された。こうしたユダヤ人のなかには詩人パウル・ツェランの両親や従姉妹もいる。アーノルド・ダガーニ(Arnold Daghani, 1909-1985)は、トランスニストリアの工事現場への移送から、脱走を経てチェルノヴィッツに帰還するまでの体験を、絵画と日記に記録した。このときの体験を元にした絵はその後も、晩年にいたるまで描きつづけられ、日記も何度か書き直されてはいるが、絵の画面はしだいに文字が覆い尽くしていき、だれだか分からない顔まで出てくるようになる。犠牲になった同胞の名前ばかりか、強制労働をさせられた具体的な地名、かれ自身の体験した出来事の説明などが、絵に克明に書き込まれるようになっていった一方で、かれは想起によらない記憶にも終始取り憑かれていた。かれはそれを膨大なページ数のアルバムとして後世に残した。こうしたジャンル分け不可能なダガーニの作品を、周囲はどう受け止めたらよいのか当初戸惑った。これははたしてアートなのかドキュメントなのか、制度的な枠組みにはどうしても収まらない作品である。イスラエルのヤド・バシェムが、労働キャンプで描かれた数点の絵画のみを、かろうじて受け入れた一方で、アルバムの最終的な落ち着き先は、サセックス大学のドイツ文学科に決まった。作品の意義を認めた人物が少数ながらいたことが、サセックス大学への収蔵へと至ったきっかけだった。ダガーニやシャルロッテ・ザロモン(Charlotte Salomon, 1917-1943)などの作品を分析するために、“pictorial narrative”という概念によってホロコーストの美術を捉え直すことも始まっている。なにが「ホロコースト」の美術・文学・音楽なのかはいまも流動的であることを、おもにダガーニの作品とその受容から部分的に明らかにすることができた。コメンテイターの宇田川彩氏からは、記憶の更新や上書きという貴重な示唆をいただいた。

(付記:連携研究者の鶴見太郎氏が以前書かれた紀行文を元にして、マイケル・ウォルツァーによるアメリカのユダヤ人社会論について問題提起も行なった)

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